よりよい人間関係のために”洗練”をもとめてさまよう心(3)

身体で導き出した価値と、頭で導き出した価値とでは、価値の導き方が違う。

これは、いったいどういうことなのでしょう。

じゃあ、もういちどトマトを例に考えてみましょう。

私はトマトが大好きですが、中でも特に好きなトマトがあります。

それは、黄色いトマトです。

もう、本当に黄色いトマトは、とってもおいしく感じてしまいますね。

私の中では、ダントツ1位!

この業界、黄色いトマトを食べてこそ、なんぼなんじゃないかと思えてしまうくらいです(笑)

色ももちろん可愛いのですが、味も普通のトマトよりもしっかりとしていて、酸味もやや強くてすごくおいしく感じてしまいます。

でも、逆に、トマト好きな私でさえ、少し苦手に感じてしまうトマトもあります。

それは、フルーツトマトです。

トマトのくせになんだか甘いというあの感じがなんだか好きになれないのです。

私にとって

黄色いトマトはおいしい。

フルーツトマトはおいしくない。

これらは、私の味覚が生んだ感覚であり

好き嫌いも、私の心が生んだ感想であり

それ以上でも、それ以下でもない。

だけど、私の中ではとても大切な事。

うん。それでいい。

ですが、

世の中には、なんだか声高に、やたらうんちくを垂れる人というのがいる。

黄色いトマト?

あんなのおかしいよ。トマトなのに黄色なんてさ。

だいたい、赤色をしているからこそトマトなんだろ。

それに、なんかマイナーすぎるって。

スーパーでも売ってるの見たことないよ。

そのうち、無くなるんじゃね。

へんなんだって。

あんなの好きになるの。

それにさ、今だったら、やっぱりフルーツトマトだって。

あのトマトなのにフルーティーな味わい。

そして、なおかつ、トマト本来のもつピュアなレッドカラー。

あれこそが、トマトを象徴している色なんだって。

あの、赤色を無くしてトマトなんて絶対にありえないって。

従来の古さを残しつつ、新しいものを追求する。

これこそが、クリエイティビティの本質なんだよ。

モードというのはいつだってトラッドの複雑系でしかないんだよ。

これが、わかんないやつ頭おかしいんじゃね。

あ、頭じゃない。

感性だ。

感性鈍いんじゃないの間違いだった。

やっぱり、感性だよねー。

こんなことわかっちゃうって感性豊かだよねー。

と、こんな感じでしょうか(笑)

まあ、私はこれらが、ただの感想の延長であるなら何の問題もないと思っています。

それに、扱っているものがトマトだったら充分笑える話ですしね。

何の問題もないと思います。

でも、世の中には、笑えないものだってある。

そう、

当たり前のように比較をしたら笑えないものがある。

それが、

人が人につける価値というのものなんじゃないのかな。

人には

人が他人に対して付ける価値と

人が自分自身に対して付ける価値

というものがあり、

これらを”人間の価値はこうだと”論理化し、正しい答えを導き出そうとすればするほど、なんだか違う物になってしまう気がする。

どんな論理だって、あるとき、条件次第で簡単に覆ることだってあるでしょうし、

それと同じように、価値なんてものも、条件次第で変わる気がする。

イチロー(野球選手)に相撲を取らせても仕方が無いし、何の価値もないことに思える。

まして、人と人とを比較して頭で考えれば考えるほどなんだかちがうものになってしまう気がする。

だって、誰一人として、同じ肉体、同じ経験、同じ人生を手にしている人はいないんだから。

表面的なものだけを見て比較したって仕方が無いし。

バックグラウンドを見て比較してもそれこそ仕方が無い。

価値なんてものはあってないような気がする。

そう、

トマトに正確な味が無いのと同じように、人の正確な価値なんてものも本当にわからない。

でも、あえて言うのなら、

価値というものは

それ以上でも、それ以下でもない。

だけど、私の中ではとても大切なこと。

本来は、そういうもののはずだと思う。

あの人は、私にとっては嫉妬を覚えるほど素敵な人だけれど

別の人から見ればそうでもないこともあるだろうし、

もしかしたら、私の方こそ誰かに素敵な人だと心の中で思われている可能性だってあるのだ。

たぶん(笑)

そんなもんなんだろう。

そう思うと、

世の中には絶対的な価値観なんてものは存在しない気がする。

だから、本当は、人と比較するほどのことでもないのかもしれないし

勝ち負けにこだわるほどのことでもないのかもしれない。

でも、

私も含め、多くの人が

人の評価が気になり、人よりも一目置かれたい

といった

”特別な自分自身”に執着心をもったことがあるのではないでしょうか。

人が人につける”自分自身への価値”というのものに囚われたことがあるのではないでしょうか。

きっと、誰だって、人生の中で一度はあるしょう(笑)

では、

この”特別な自分自身”を欲しがる状態は、いったい、いつ生まれるのでしょう。

それは、

”他人を意識しすぎる自分自身への視線”に気が付いてしまったときに生まれるのではないでしょうか。

つまり、

これこそが、自意識過剰の正体というのではないでしょうか。

ですから、

自意識過剰を捨て去るにはこの”他人を意識しすぎる自分自身への視線”をはずすことがポイントになってくるような気がするのです。

続きは次回へ