こんにちは。

陽万里です。



このブログは

本当の自分がわからない



といった漠然とした

無価値感や不安感や焦燥感を抱えた方に向けて書いたものになります。



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”私は、あなたが影で人一倍努力しているのを知っているの。でもね、それだけじゃあダメなのよ。もっと処世術を身につけなさい”

これは、某有名女優のエッセイの中で語られている、彼女がまだ若いころに、先輩女優に諭された言葉である。

当時の彼女は、”努力”なんてものは他人にひけらすものではないと思っていたんだと思います。

それは、控室の存在を他人に悟らせないといった彼女のプライドだったんだと思います。

さすが、女優さんですね。

人に見られるということに”完璧”を敷いているんですね。

しかも、それが、当たり前のことだと思っている。

自意識のはたらき方が半端ない。

見事な客観的な視点と美意識の高さです。

でも、

それだけじゃ、ダメだと先輩女優に諭されてしまうのです。

ようは、

完璧すぎるということが必ずしも周囲の人間関係においていい影響を与えるわけではない。

完璧すぎると、上手くいかないこともある。

だから、

あえて、処世術を身につけなさいと高等な演技指導をされてしまうのですね。

処世術…

ようは、世渡りのことですね。

完璧も大切だけれど、もっと周りのこともよく考えて、よく見て上手くやりなさいと諭されたんでしょう。

なるほどなあ。

と、完璧には程遠い私は感心してしまいましたね。

それどころか、

この本を読むまで、処世術という言葉をわりと悪い意味合いにとらえていました。

”処世術ってなんかいやらしい。”

”媚びてるんじゃないの”

くらいに思っていました。

物の見方が浅かったんですね。

まあ、実際、若かりし頃の私は、ニコニコと要領のいい感じの人を見ては”何さ、本当は媚びてるくせにさ”なんてツンツンしていたりもしました。

それに、たしかに媚びの含んだ処世術というものもあると思いますし、

そういう場合は、やっぱり、いやらしいんじゃないでしょうか。

では、媚びの含んでいない場合はどうだろう。

人間関係の円滑油のための処世術だったらどうだろう?

それなら、むしろ全然いい気がする。

じゃあ、媚びの含んだ処世術と媚びの含んでいない処世術って何がどう違うのだろう?

うーん、

単純に人に好かれたいとか、人に気にいられたいとかそういう心の状態になったときに媚びを含んでしまうのかな?

本当に?

誰だって、新しいコミュニティに入るときなどは、人に好かれたいとか、人に気にいられたいくらいの気持ちにはなるんじゃないのかな。

それくらいは普通のことだと思う。

ごくごく普通に人から認めてもらいたい。

ごくごく普通に人に受け入れられたい。

ごくごく普通に人から承認されたい。

これらは、人間である以上、普通の感情のはずだ。

でも、そうじゃなくて、身体の中に媚びが生まれる時は、なんか普通な感じじゃなくなる感じのとき。

もっと、心が落ち着かないというか…

ザワザワするというか…

うーん…

たぶん、それは、他人のことがものすごく気になりだしたときだと思う。

人から認められないとダメなんじゃないのか

人から受け入れられないとダメなんじゃないのか

人から承認されないとダメなんじゃないのか

こんな風に感じたときに身体の中に媚びが生まれているように感じる。

ようは、人の目を気にしすぎなんですね。

自意識過剰というものです。

そう、

媚びとは、媚びそのものが独立して発生するものでも何でもないのです。

何故なら

人は部屋でたった一人でいる時に身体に媚びなんてものは発生しないと思いますし

動物園でゴリラを眺めている時も身体に媚びは発生しないと思うのです。

だから

媚びとは、あくままでも二次的なもの。

人が人を意識しすぎたときに出るもの。

そう、

自意識過剰の付属品なのだと思います。

冒頭の女優さんは、女優という職業を選ばれたということは、やはり人から見られることに喜びを感じる女性なのだと思います。

でも、私は、彼女の文章や本の中に書かれているエピソードを見てもただの自意識過剰な人には到底思えないんですよね。

単に心がザワついている人には思えない。

だって、あの、冷静で客観的な視点と美意識の高さを、ただ単に”自意識過剰”なんて言葉では表現できない感じがするのです。

それに比べ

私の思うただの自意識過剰な人は

ある種の客観的ではない視点と美意識の低さを感じてしまうのです。

これは、他の女優さんのお話になるのですが、

ある飲み屋さんで、有名女優(冒頭の女優さんじゃありません)が、人前で”私は女優よ”と自意識過剰丸出しの、あまりよろしくない態度をとっていたところ、そこのお店のママが

”女優っていうのはね、女が優れているって書いて女優なのよ”

とおっしゃったそうです。

ようは

この女優の客観的ではない視点と美意識の低さを揶揄したというわけです。

まあね、いくら有名人でも、世の中の人が全員この女優の大ファンなんてことはあり得ないでしょうし。

女優なんてどうでもいい人だって普通にいますしね。

人前でとるべき態度ではなかったのでしょう。

そうして、この女優の場合、他人に対して媚びを売っていたのではなく、自分自身に対して媚びを売っていたのでしょうね。

”ワタシ凄いの”

”ワタシ凄いの”

”だって女優よ”

”普通の女じゃないのよ”

”みんな、見て見て”

ってな具合にね。

つまり、

これは、若かりし頃の私にもいえるんですね。

人前でニコニコと要領のいい感じの人よりも、ツンツンしている私の方こそ客観的に自分を見れていないし、美意識だって低いというわけです。

そうして、ツンツンしている私の方が、媚びを売っていない分、ずっと純粋だなんて思っていましたね。

そんなところに、自分の価値を見いだしていました。

まさに、自分で自分に媚びを売っていたのです。

もう、恥ずかしいですね。若いって(笑)

もちろん、

超平凡な私たちが、冒頭の有名女優のような、客観的な視点と美意識を見習うのは大変なことだとは思いますけれど、

でも、

できるだけ身体の中に媚びを発生させないように

あまり自意識過剰にならずに

ごくごく普通に客観的な視点と美意識を持つことが

”美しい処世術”という名の人間関係の円滑油を手にすることにつながるんじゃないのかなとは思っていたりします。






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【自分探しばかりをしているあなたへ】




最後までお読み下さいありがとうございます。

あらためまして陽万里です。

このブログは、




◆自分が何者なのかわからない

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◆勝ち負けばかり気にしてしまう




といった、”自分”というものに囚われてしまっている方に向けたブログになります。




かくいう私自身も、かつては上記と同じような心の状態の人間でした。

きっかけは、いじめでした。




学生時代に受けた、いじめは、

”価値のない人間”というの烙印を私に押しつけました。

あの日以来、”価値のある自分”を取り戻すために

私は必死に自分を追いかけだしたのだと思います。




自分らしく生きる、

本当の自分を手にする、

あるがままの私を生きる。




そんな巷に溢れかえっている”自分探し”のうたい文句に翻弄されながら。。。




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