こんにちは。

陽万里です。



このブログは

本当の自分がわからない



といった漠然とした

無価値感や不安感や焦燥感を抱えた方に向けて書いたものになります。



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では、本日のブログをどうぞ!





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以前、マツコデラックスさんがおっしゃっていたことでとても印象に残った言葉があります。

以下はその言葉です。

「人はよく、”どうして私をわかってくれないの”っていうけど、

あなたを本当にわかってあげることが出来る人がこの世にいるとしたら、

それは、あなたと全く同じ顔をして、あなたと全く同じ日時に生を受けて、

あなたと全く同じ人生を歩んでいる人なんじゃないのかな。」

と、いうものです。

これに、私なりの解釈を加えますと、

”あなたを本当に理解してくれる、他人は存在しないけれども、あなたを本当に理解してくれる、真の親友はあなたの心の中にいる”

ということなんじゃないのかな…

 

他人とは距離があるのが当たり前

 

私たちは、ついつい、他人に理解されたいと思いがちなところがあるように思いませんか?

もちろん、そのことがおかしいだなんて思っていません。

自然な事といえば自然な事だと思います。

ただ、他人に理解されることを大前提にする感覚と

まあ、出来たら理解されたらいいよねって感覚とでは全く違うような気がしてしまいます。

人が人と接するときに、前者のような心持ちで、他人と接していると、正直いろいろとキツイのでないでしょうか?

何故なら、そんなことは現実にはなかなかないからです。

人間は各々、身体が別々である以上、感性が違う場合も多々ありますし、人生経験も違う物だと思います。

例え、感性が似ていても、実際にその人を理解してみようと思う時に使う想像力も自分自身のフィルターのようなものが入っってしまい、その人自身を理解することは難しい。

だから、真に他人を理解することはなかなか困難な事なんだと思います。

私は、他人とはいつだって

”一生埋まることのない距離感がある”

というのが真実なんだと思っています。

そう、他人とは距離があるのが当たり前のこと。

だから、分かり合えることもあえば、分かり合えないこともある。

そうして、そのことは

それ以上でも、それ以下でもない。

ただの真実。

そんな風に思っています。

……….

20歳くらいの頃の私は、今よりもずっと悩み多い人生を過ごしていました。

それは、自分自身の内面がどのようなものなのかも知らないことにより、いろいろと内側も外側も不安定な現実を生み出してしまうという、

まあ、自分自身がわからないから発生する悩みだったんだと思います。

また、当時は自分自身の内面をきちんと知らないといけないといった必要性もまだまだ感じ取れずにいました。

ただただ、

なんで、こんなにいろんなことがしんどく感じるんだろう?

なんで、こんなにいろんなことが上手くいかないんだろう?

と、思うことはあっても、”自分と向き合う”というようなことはまだしていませんでした。

ですから、

”わたしを本当に理解してくれる、他人は存在しないけれども、わたしを本当に理解してくれる、真の親友はわたしの心の中にいる”

なんて感覚も当然ありませんでした。

そんな当時の私が仲良くしていて女の子がいます。

Kちゃんといいます。

Kちゃんは、とにかく面白くて、お話上手でよくしゃべる女の子でした。

ただ、Kちゃんは一見キャピキャピ(←死後)した感じの女子大生の女の子なんですけど、

ほんの数年前までは心の病に侵されて、電車に乗って高校に通うのもお母様の付き添いが必要といったほどの大変な人生を過ごしたことのある女の子でした。

私と知り合ったときは、もう元気な様子でしたが、

Kちゃんいわく、”依存心が強い性格”にKちゃん自身が振り回される時があるように感じていました。

でも、まあ私たちは年頃の女の子のようによく一緒にいました。

なかでも、お互いの恋愛で失敗した時、失恋した時なんかしょっちゅう一緒にいたように思います。

失恋とはとても悲しいもの。

”大切な人の心の中にわたしはいないんだ”という現実はなかなか悲しいものがあります。

その、悲しみは、1日の始まりである、朝起きる時から始まっているように思います。

通常、朝、目覚めるとということは、あたたかい日差しや空気の澄んだ様子を感じたときや、体内時計がはたらいた時だと思うのですが、

失恋をした時の朝の目覚めは、悲しすぎて、目が覚めてしまうものなのではないでしょうか。

そう、孤独すぎて淋しすぎて目が覚めてしまう。

きっと、失恋の経験をしたことがある人ならわかってもらえるのではないでしょうか?

でも、もしかしたら、これは、失恋に限ったことではないのかもしれませんね。

多くの人が、失恋に限らず、”かなしい、さみしい”といった感情に心が支配されてしまい孤独な朝を迎えるといったことを経験しているのではないでしょうか。

私もKちゃんもお互いが失恋をしたときは、Kちゃんの一緒にいる時間を多く作るようにしたり、時には、Kちゃんの家にまで泊まりに行くこともありましたし、私の住んでいる家にKちゃんが泊まりにくるといったことをしていました。

”お互いを、できるだけ、孤独な状態にしたくない”

たぶん、そんな風に思っていたんだと思います。

それは、よくありがちな、ただ単に”つるむ”といったことだったのでしょうか?

うーん、

なんともいえませんが、

確かに、当時の私もKちゃんも、自分自身がよく分からなかったり、人間関係がわからなかったりでいろいろと失敗を繰り返していたとは思います。

お互い、たくさん未熟なところがあったように思います。

ただ、私以上に、依存心の強いKちゃんは何度も何度も同じようなことで恋愛で失敗を繰り返すんですね。

それも、短期間に何度も。

短期間に何度も同じ失敗を繰り返すKちゃんに

”なんで、そうなるの?”

”全然、わからない”

といった、気持ちに正直何度もなりました。

それに、Kちゃん自身、”私は、どうしても、男の人に依存してしまう”といっているのです。

きちんと自覚しているんですね。

自分がどういう女だということを。

でも、何度も同じことを繰り返してしまう。

何度も自分で自分を傷つけてしまう。

そう、

”私は、Kちゃんがわからなかった。”

もう、いい加減にすればいいのになんて何度思ったかわかりません。

でも、少なくても、私がKちゃんと一緒にいたのは

Kちゃんに元気になってもらいたかったからです。

私はKちゃんがわからないけど、元気になってほしかったのです。

もしかしたら、

愛情とは、わかったり、わからなかったりとは別のところではたらいているのかもしれませんね。

そう、

わかりあえるから、愛情や信頼を見いだせるっていうのはわかるんだけど

それだけじゃない

かといって

理解されることを大前提にする感覚ともちがう

なんだか

わからないけど、元気になってほしいと思ってしまう。

わからないけど、孤独な気持ちになってほしくない。

はからずも、そんな風に思ってしまうことも愛情なのかもしれない。

私は、そう思っています。

でも、さすがに、前回のブログのYちゃんのように合わないのに無理やり接近してくる人は大前提として拒絶してしまいますけどね。

Yちゃんのように勝手に距離を縮めてきたりする人には”わかる、わからない”以前に愛情なんてものはやっぱり持てませんけれど。

まあ、本当は愛に定義なんてないのかもしれませんけどね。

だからこそ、

かまってちゃんが苦手なんですよね(笑)






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【自分探しばかりをしているあなたへ】




最後までお読み下さいありがとうございます。

あらためまして陽万里です。

このブログは、




◆自分が何者なのかわからない

◆無価値感が強い

◆承認欲求が強い

◆人の目が気になる

◆勝ち負けばかり気にしてしまう




といった、”自分”というものに囚われてしまっている方に向けたブログになります。




かくいう私自身も、かつては上記と同じような心の状態の人間でした。

きっかけは、いじめでした。




学生時代に受けた、いじめは、

”価値のない人間”というの烙印を私に押しつけました。

あの日以来、”価値のある自分”を取り戻すために

私は必死に自分を追いかけだしたのだと思います。




自分らしく生きる、

本当の自分を手にする、

あるがままの私を生きる。




そんな巷に溢れかえっている”自分探し”のうたい文句に翻弄されながら。。。




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