距離感を図ることがよりよい人間関係をつくることなのかもしれない(4)

人はわかってほしいという願望のある生き物なのではないでしょうか?

なぜなら

わかりあえるということが

人との距離感が短くなって親密なれることだから

そうして、

その先にあるのは、

きっと…

愛し愛されることだから

そう

”愛しあえることだから”

きっと、みんなこれが欲しんですよね。

うん。

わかります。

でもね、

わかりあえるということ。

人との距離が短くなって親密なることが

唯一無二の正解なんでしょうか?

それが、どんな状態においてもベストな答えになるのでしょうか

いいかえると

距離間が近いことがなんだか良いことで

距離間が遠いことがなんだかイマイチなことなんでしょうか

本当に?

なんか、

こういう考えが進んでいくと

だんだんと

友達は多いほうがいいだとか

友人がいないとおかしいだとか

結婚はいいものだとか

離婚をするのは失敗だとか

片親はかわいそうだとか

になっていく気がするのです。

…..

以前、ブログにも書きましたが

私は、世の中には絶対的な価値観なんてものはないんじゃないかと思っていますし

人の気持ちも変わるものだと思っています。

それが、自然な事なんだと思います。

ですから、人との距離が短くなって親密なることが唯一無二の正解だなんて思ってはおりません。

ただ、人間関係において、なぜ気持ちが変わってしまったのかを知るということはとても大切な事のように思います。

とくに

大好きだったのにもう一緒にいたくない

信じていたのにもう顔も見たくない

といった場合は、よくよく自分自身の心の中を見つめてみた方がいい気がします。

なぜなら

そこに、何か大切な自分自身の要素が見いだせる可能性があるからです。

なぜ、”この人とはダメかもしれない”と思ってしまったのかを知るということは

人間関係において

”何が許せなかったのか”

”何がひっかかったのか”

を、知ることにつながると思います。

つまり、

いったんは辛くても実際に本気の嫌いを経験しない限りは、

自分自身の”許せないもの”ってわからない気がするんですね。

もちろん、人には想像力というものがありますし

想像力を使って情報を得るということもできるでしょう。

でも、

想像力と実際の経験ではやっぱり、リアリティというものが全然違う。

例えるのなら

いじめに合うことが辛いことだということは多くの人が想像できることだと思いますが

実際に、いじめの被害にあった人の気持ちというのはそれとは違うものだと思うのです。

それは、決して悪いことでも間違えていることでも何でもなく

そういうもんだということなんですね。

そうして、

いじめにあった人が、全員全く同じように物事を感じるとも限らないことなんですね。

なぜなら

人はそれぞれに身体があり心があり感性もちがうものだから。

人によって感じ方が違う可能性は十分にある。

つまり

自分自身が感じたことがすべてではあるんだけれど、それがこの世の絶対でも何でもない。

そう、

自分を知るということは大切な事ではあるんですけれど

それは、あくままでの自分の中の正解に過ぎないのです。

だからこそ

”あなたを本当に理解してくれる、他人は存在しないけれども、

あなたを本当に理解してくれる、真の親友はあなたの心の中にいる”

ということになるのですね。

ですから、まずは、自分自身と対話をすることで、要素となるものを少しずつ見つけていくことが大切な事なんだと思います。

それが、のちのち自分自身の人生や人間関係を構築していく上できっと役に立ってくるんだと思います。