自由って何なんだろう?(1)

 

数年前まで(今もあるのかな?)成人式で暴れる新成人がたびたびニュースで話題になっていた。

何かをアピールするかのように、必死に暴れて、目立とうとする新成人たち。

いったい、彼らは何をそんなにアピールしたいんだろう?

きっと、

”もう、子供じゃないぜ”

”お前らが、思ってるような人間じゃないぜ”

”世間体なんか気にするような人間じゃないぜ”

”おとなしく、席に座ってる人間なんかにならないぜ”

といった感じなんじゃないのかな?

そうして、

それをものすごくわかりやすく、大げさにアピールしてくる。

いったい、

必死のアピールの先の相手は、誰なんだろう?

きっと、

”特定の誰か”といった場合もあるでしょうし

”世間”といった場合もあるでしょうし

”俺”といった場合もあるんじゃないのかな。

ああいうのを、見ていつも思うことがある。

それは、

”自由っていったい何なんだろう”って。

 

”自由に生きたい”

そう、思う人はきっと沢山いると思います。

もちろん、私だって、そうです。

特に、10代から20代までの間は

”自由”というものに、ものすごく憧れていたように思いますし、

”自由”というもの事態に、何かポジティブなものを感じていたしように思います。

でも、

それ以外にも、自由に惹かれた理由があります。

それは、

毎日が、なんだか、すごく”窮屈な感じ”を感じていたからだと思います。

何故そう思ったかというと

当時は、なんだか、すごく”誰かに何かをさせられている”感じを受けていたように思うからです。

いったい、

誰に対してそんな感じを受けていたんだろう?

”世間”だったのかな?

”自分自身”だったのかな?

もちろん、それもあるとは思うけど、

私の場合は、

”特定の誰か”を強く意識していたように思います。

 

そんな感じだったので

とにかく、当時は、心が窮屈に感じていたし、しんどかったように思います。

心が窮屈だからこそ自由が欲しい。

そうして、

その自由を手にする手段とは

”頑張ること”のように思っていました。

なんだか、

ものすごく、頑張れば、自由になれるんじゃないかと思ってたような気がします。

頑張れば…

認められれば…

”もう、好きにしてもいいよ”

って誰かに言ってもらえるような気がしてた気がします。

きっと、

私が、いろいろと、あーだーこーだと言われる理由は

”認められていない”からなんだと思っていました。

私が、多少、

いろいろと周りをおかしく感じることがあっても

周りとの、ちぐはぐ感をくるしく感じることがあっても

それも、

たぶん、”私が色々とわからないことが多い”から、人から色々といわれても、しょうがないのかな?

たぶん、”全ては、私の問題”だから、出来るようになるまでは、しょうがないのかな?

なんて、思っていました。

私が、大人になって、いろんなことがわかるようになって、いろんなことが出来るようになれば、

もう、べったりとした関わり方をされないで済むんじゃないのかと思っていました。

だから、

頑張れば…

認められれば…

自由になれる。

それは、

例えるのなら

物凄く、上手に

お手や、お座りや、ハウスを覚えられたら

”よく、頑張ったね”

”これなら、もう、世の中に出ても大丈夫、OK”

といってもらえて、

ようやく、放し飼いにしてもらえそうなイメージです。

もちろん、首輪付きでしょうけど。

だから、

どんな理由があろうとも、”認められる”ことが、とりあえずこの現実世界で上手くやっていく方法なんだと思っていました。

でも、

なんか、途中で頑張る方向が違う気がしてきた…

なんで、

わざわざ、私が誰かのために頑張らないといけないんだろう?

そもそも

誰かに認められないと自由じゃないってのがなんか変に思えてきた…

だって、

おかしくない?

別に私は、成人式の新成人みたいに

世の中に出て、暴れたいわけでも何でもないのに。

人に迷惑をかけたいわけでも何でもないのに。

そんな、よくわからない自由を自由だともなんとも思っていないのに。

それなのに

誰かに、頑張って、認められないと自由じゃないって

おかしくない?

そもそも

認められてないから

足枷をくらうような気持ちになるって

おかしくない?